2020/01/22 12:24
日本には色んな「かるた」があります。いろはかるた、歌かるた、百人一首、株札、そして「花札」などなど。
ひらがなの「かるた」はよく目にしますが、ちなみに漢字で書きますと加留多、歌留多、嘉留太、骨牌などなど。
このように「かるた」にはたくさんの種類、漢字があります。それだけ「かるた」はこの日本で多くの歴史を歩んできました。
今回は、かるたのひとつである「花札」がさらに遂げた進化を紹介させていただきます。
最初は花札の起源から。
その起源は16世紀後半の戦国時代にまで遡ります。当時の日本では、西洋との貿易が盛んに行われてました。
種子島に鉄砲が伝来したことなどが有名ですね。そうしたたくさんの舶来品の中に「carta」なるものがありました。
「carta」とはポルトガル語でカードゲームのことです。「carta」は海外のものなので絵柄はもちろん西洋の意匠です(西洋風の騎士や剣)。
「carta」は三池(現在は福岡県大牟田市)に住む職人たちによって国産化されます。まるで同じ舶来品の鉄砲のようですね。
次第に「carta」は西洋風の意匠から日本風へと変化していきます。
こうして出来た国産の「carta」を「天正かるた」と呼びます(天正とは当時の日本の元号です)。
そうなんです!「かるた」の語源は約400年前に西洋から伝わったカードゲーム 「carta」なんです!
天正かるたは瞬く間に、全国各地の戦国武将たちの間で流行りました。
ところが戦国時代が終わり江戸時代になりますと、かるたは幕府によって禁止されてしまいます。
それはかるたが賭博に利用されていたからです。そこで、かるたで遊びたい人々は考えました。
かるたに描かれている数字の代わりに牡丹や菊などの「花」を12種類用意して、それを1〜12月に割り当てました。
絵柄も日本の花鳥風月を基調とするものに変更しました。
こうして、かるたを12種類の「花」を用いて大胆に路線変更した「花札」が誕生しました。
そして戦国花札へ
二両亭かるたが創る「戦国花札」は、この400年に及ぶ日本の伝統的カードゲームの歴史をさらに進めます。
それはかつて、天正かるたで遊んでいた戦国武将たち自らが花札の意匠として登場するというものです!
花札が採用しているスート(ひと揃いであることを示すマークのことです)は「花」です。
「戦国花札」のスートは、花の代わりに武将たちが使用していた「家紋」を採用しています。
また、花札には「猪鹿蝶」に代表される出来役(特定の札が揃って出来る役)があります。
「戦国花札」の出来役は、戦国時代に因んだものになってます。
ひとつ紹介させていただきますと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らが揃うと「時鳥(ほととぎす)」の出来上がり!っといった感じです。
いまここに、400年の時を超えて戦国武将と花札が邂逅します!
遊び方はとてもカンタン!花札の「花合わせ」とほとんど同じです。
手札から場札にある同じ家紋の札を出して札を合わせます。それを手札がなくなるまで集めていきます。
勝敗の決め方は集めた札点と出来役の得点の合計点が一番大きかった人の勝ちです!
ゲームを始めたばかりの方は札点だけで勝負するのも良いかもしれません。
そして各札の絵柄や札点に慣れてきましたら、出来役を解禁して更なる高得点を狙う遊び方をする、というのも有りです!
麒麟がやってきましたね。そんな今年は、主要な登場人物を「戦国花札」で遊びながらチェックしてみてください〜